2001年、第三舞台20周年記念公演『ファントム・ペイン』の後、第三舞台は、10年間、活動を封印することになりました。その理由について演出の鴻上は、「一言で言えば、僕も役者達も、いろんな人達と出会うためです。幸いなことに、ずっとお客さんが応援して下さっていて、公演を続けることは可能です。普通は、お客さんが誰もいなくなって社会的に封印されるか、劇団がもめて自主的に封印する場合が多いと思うのですが、第三舞台は、幸福なことに20年間、ずっとやってこれています。けれど、同じ人間同士とだけやることは、ツーと言えばカーの間になっていくことです。コミュニケイションの言葉がどんどん少なくなっていくのです。これは、じつは、演出の僕なら、演出の言葉がやせ細っていくことになるのです。一言ですべてが分かり合ってしまうのは、お互いにとってよくないと判断しました。それぞれが、ひとり旅に出て、いろんな人と出会い、言葉の通じない人や感性のまったく違う人と演劇をすることで、俳優も僕もより豊かになると判断して、10年間、封印することにしました」
 と封印の理由を説明しています。

■『最新エッセー』

1981年5月15日 早稲田大学演劇研究会に所属していた、鴻上尚史、大高洋夫、岩谷真哉、名越寿昭らが、旗揚げ公演「朝日のような夕日をつれて」を大隈講堂裏特設テントで上演。3日間の無料公演で、観客数約300人。以降、鴻上が作・演出を手がける。

1981年10月2日から「宇宙で眠るための方法について」上演。小須田康人、長野里美、伊藤正宏らが参加。

1982年5月3日から「プラスチックの白夜に踊れば」を大隈講堂前の広場にテント劇場を建てて上演する。
1982年10月11日から「電気羊はカーニバルの口笛を吹く」を上演。山下裕子、筒井真理子らが参加。

1983年2月18日から「朝日のような夕日をつれて'83」を池袋・シアターグリーンのウィンターフェスティバルで上演。
1983年6月24日から「リレイヤー」を大隈講堂裏特設テントで上演。
1983年10月30日から「デジャ・ヴュ」を大隈講堂裏特設テントで上演。出演 岩谷真哉大高洋夫小須田康人、名越寿昭、長野里美、伊藤正宏、山下裕子、筒井真理子ほか。「ドライブ感溢れるステージングで展開する第三舞台」など、テレビでの紹介、各種雑誌での記事、劇評が突然出る。鴻上は雑誌連載や、深夜放送「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティーなどを始める。