岩谷真哉
IWAYA Shinya
岐阜県出身、O型、てんびん座

現在、第三舞台でファンからのプレゼントが一番多い役者。当然、役者仲間からシットと、負けてなるものかというライバル意識の目でみられている。花束の数で負けても、クッキーだけは負けないぞと、心に誓う役者は多い。今回も、役者紹介の順番で大モメにモメ、オレが一番だ、イヤ、オレだと劇団解散寸前にまでなったため、演出家の鶴の一声「あいうえお順にするぞっ」でトップバッターに。

現在、第三舞台で一番貧乏な役者。当然、役者仲間から同情と、あいつなら許すよという愛の目で見られている。貧乏なくせに経済観念はなく、冬は30万もする黒のレザー・ジャケット、夏はスーツが一着買えるかというシルクのシャツに、カリフォルニアはシンシナティー直送の麻のパンツを、あくまで黒にこだわりながらざっくりと着こなす。ソフトな素材にハードな異物をぶつける所からファッションは生まれると言う。この考えは、みごとに岩谷の芝居観とタイアップする。

今回、「朝日のような夕日をつれて」の出版を練習の終了後発表した時、20人以上いる劇団員が一斉に拍手を始めた中、一人、拍手をしないで虚空を見あげていたのが岩谷である。これは「出版がなんぼのもんじゃい!」という岩谷自身の芝居観をあらわす。(演出家は、ほんの三秒ほどの間、こういう事実を見きわめる習性があるのだ。これを動態視力と言う。)

その心意気やよし。岩谷が言いたかったことは、劇団を支えるのは脚本家でも演出家(第三舞台は私が両方兼ねている)でもなく、それはただ、役者だけということなのだ。それもアイウエオ順一番の、岩谷真哉だと言いたかったのだろう。きっと。だからこそ、出版することにより脚本家の権力が強くなることを憂うのである。
60年代の小劇場運動が残した唯一の遺産とも言うべき、「芝居はストーリーを見るのではなく、役者を見るのだ。ストーリー見たけりゃ、戯曲集買え!!」という真理は、80年代に入ってもろくも崩れさり、「作者のテーマがよく身体化されていた。」だの「作者の世界は悲しみの結晶である。」などという劇評が幅をきかせるようになってしまった現状を彼は、舞台の上から歯ぎしりして攻撃しているのだ。それを受けた脚本家は、「その心意気や、よし。お前の役はストーリーなんてレッテルをはれないような、訳の分らんキャラクターにしてやろう。」と、本線から全く関係のない役を書き上げることになる。

ところが、あまり関係なさすぎると、舞台にでる時間が短くなり、セリフの量が減ることとなる。そういう時、岩谷は、演出家が練習の合間にトイレにいくころを見はからって、トイレのドアの前にぽつねんとたたずんでいるのである。もちろん、まわりにはストーリーに関係のあるセリフの多めの役者をあつめて、練習してもらう。演出家は、いやでも岩谷と目が合い、普段、バカ陽気なだけに、「・・・・・・どうした?」と声をかけざるをえない。すると岩谷は、「・・・・・・いえ、何でもないっスよ。」と一言言って走って行くのである。

残された演出家は、自分の尿意も忘れ岩谷の不自然に明るい返事が心にひっかかり、ふとあたりを見回すと、ストーリーに関係のある役者がペラペラと自分のセリフを喋っている。演出家は、ここでハタとヒザをうち「そうか、そうなのか。」とつぶやくのである。

じつに心憎い演技である。心の中で「もうこんな役なら練習に行きたくない」と思っていようが、決して口にださず、「セリフが少ないから・・・・・・」とめめしい事を言っても、聞かない演出家だと分っているからこそ、つとめて明るくふるまう不自然さが、一番、演出のハートをうつと計算しているのである。

かくして演出家は、脚本家に変身し、気がついたら岩谷の役は、ぎちっと芝居の中におさまるキャラクターになっているのである。演出家が、そこで何も言わないのは、脚本と役者という異物のぶつかり合いこそ芝居だと思っているからである。
舞台では、しなやかで躍動感のある演技をみせる。

 (鴻上尚史 1983年弓立社刊 戯曲「朝日のような夕日をつれて」)



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