松重豊・研究
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--- | (東京公演が終わりました) |
松重 | 「そうですねえ。・・・去年、野田さんのところ(TABOO)でもやっぱり60ステージくらいやったんです。僕が出る芝居って、なんだかだんだん年齢とともに激しくなってくような気がするんですけど、なんでかなあ(笑)。![]() ![]() |
--- | (話は変わって、松重さんが蜷川スタジオでやってらしたのは10年位前?) |
松重 | 「あ、そのくらいですね」 |
--- | (今回はですね。そこで始まって現在に至るまでについて、語っていただければと思います) |
松重 | 「はあ、よろしくお願いします(笑)。蜷川スタジオの前は、僕、明治(大学)だったんですけど。そのころの明治の学内って、演劇に関しては、どアングラが盛んでして。『第三エロチカ』のあとの『実験劇場』とかね。僕は学内の人たちとより、日芸の人たちと割とお芝居を作ったりすることが多かったんです。当時の『サンシャインボーイズ』の公演ですとか、『ショーマ』の人たちとやったりとか。」 |
--- | (そのころは、学生演劇が独立していく形が多かったですけど、あえて蜷川幸雄さんの所に行かれたのはなぜなんですか?) |
松重 | 「サンシャインボーイズの公演とか出ながら、一応、その、なんていうか自分でも作ってたんですよ」 |
--- | (劇団ですか?) |
松重 | ![]() |
--- | (知り合い関係以外のところに飛び込んでみた) |
松重 | 「そうですね。あとは、やっぱり僕は上の世代の人たちがやっていた、あの唐十郎さんとかね、そんなアングラの世界に憧れてたんだとおもいますよ。学生の時に、後期の状況劇場を観に行って、あのテント芝居の猥雑さとか、![]() |
--- | (『めんたいロック』でしたっけ?) |
松重 | 「そうです、そうです。福岡発の音楽がありましたでしょ。『ロッカーズ』とかね、僕の行ってた高校の三つ上だったのかな。影響されたっていったら『サンハウス』とかね、鮎川誠さんの。なんつうか、激しいものに対する憧れってのがどっかあったんですよ。![]() ![]() |
--- | (その中に勝村とかいて) |
松重 | 「そうですね、それで一緒にやめたんですけどね(笑)」 |
--- | (何やって食ってましたか、その時は) |
松重 | 「やっぱバイト運ってのは役者の運の中でも、相当大事な運のひとつですね。下北沢の『眠亭』っていう・・・」 |
--- | (江戸っ子ラーメンですね) |
松重 | ![]() |
--- | (下北沢における棲み分けですか) |
松重 | 「近いもんはありましたね(笑)」 |
--- | (スタジオ時代に松重さんの基本ができた?) |
松重 | 「どうですかね、それは(笑)。あのころにやってたシェークスピアとか、ほんとアングラなスタジオ公演ですとかと、それ以降の僕がやってることってのは全然違うと思いますからね。テンポ・テクニック・からだの動き、そういうのじゃない芝居をずっとやっていたわけですからね。スタジオを離れてから、それまでを否定する方向のことを始めたんです。![]() |
--- | (なるほど) |
松重 | 「・・・ただやっぱりベースにあるのはスタジオのころにやってた、自分の生理とか観念みたいなものを伝える、なんというか、重い形のものを重視した芝居なのかもしれません。そのふたつの距離ってのを理解するには、やはり時間がかかったんじゃないかと思います」 |
--- | (今もはげしいものは好きだ、と) |
松重 | ![]() |
--- | (誰がですか) |
松重 | 「松重っていう奴が。そいつが今の俺を見た時にどう思うかっていうのを危機感としていつも持ってるんです。『オマエなにやってんだコノヤロウ』って言われたらどうしようっていう、そういう危機感はいつもあります。その時のエネルギーを鏡としていつでも立ちあげられるようにしとこうと。そう思ってます」 |
--- | (ありがとうございました、あしたもがんばってください) |
/文責・中島