コーマ・エンジェル
〜天使は瞳を閉じて より〜

作・演出 鴻上尚史
1997年6月13日〜7月2日 シアターサンモール
出演 旗島伸子 堺雅人 高橋拓自 松田憲侍 ほか公募オーディションによる出演


 

ごあいさつ  鴻上尚史

子供の頃見たTVドラマに、こんな一節がありました。悩んでいる孫が、おじいちゃんに「おじいちゃん愛するってどういうことなの?」と素朴に、しかし、切羽つまってきくシーンです。おじいちゃんは、苦笑いをしながら「わしは70歳になったが、まだ分からん」と答えます。子供だった僕は、「へえ、70歳になっても分からないのか」と驚き、同時に「70歳になっても、まだ考え続けているんだ」と感動しました。

22歳で『第三舞台』を作る前まで、僕は僕しか愛してなかったと、今になって気づきます。つきあっていた人はいましたが、自分では「いとしい」という感情を確実に感じていましたが、一番、深く愛していたのは、やはり、自分だったのではないかと思います。

19歳で、早稲田大学演劇研究会という所に入り、そして、22歳で『第三舞台』を作ってからは、僕は『第三舞台』しか愛してなかったと断言できます。『第三舞台』に関連したすべてのことだけを僕は愛していました。どんなことをしていても、どこへ旅行に行っていても、僕は『第三舞台』の役者とスタッフのことだけを考えていました。

テレビで、かつて行った観光地が紹介されると、旅の思い出と共に、その時、誰のことを悩み、何を考えていたのかという記憶も同時によみがえります。スタッフが酒の席で役者の行動をグチリ始めれば、胸が張り裂けそうになりました。グチっているスタッフの心を感じて張り裂けそうになり、役者の心を思って張り裂けそうになりました。

マンガ家の内田春菊さんが、僕に向かって「作家にとって、他人事はないんですね」と言われたことがありました。そんなことはないと僕は思いました。『第三舞台』に関連するすべてだけが、僕には他人事ではないと分かっていました。飲み会の席で、誰かがひとりぽつんといれば、それだけで、僕の心は痛みました。と言って、演出の僕が話しかければすむ問題ではないことも多く、僕はどうしていいのか分からなくなりました。

酔っぱらった勢いで言う相手の言葉をすべて真剣に受け取りました。酔っぱらった人は、僕に対する批判は決して口にせず、『第三舞台』に関連する人達の批判を語り続けました。酔っぱらった人も、もちろん、『第三舞台』に関連する人でした。そのたび、僕は死ねない自分に心が張り裂けそうになりました。

その当時、つきあっていた女性が、バレンタインデーのチョコレートを僕にくれました。大きなハート型のチョコレートで真ん中に文字が書かれていました。「わがまましてもいいのよ」と彼女は書きました。3年近く、つきあっていた女性でした。僕のすべては、『第三舞台』に関連するすべてのものに集中していて、わがままをする余裕もなかったのです。

いったい、人はいくつのものを深く愛せるのかと思う時があります。でも、僕は、僕の『第三舞台』に関連するすべてのことに対する愛が幻想であることを知っています。幻想という言葉が強ければ、それは余計なおせっかいの愛です。決して、愛の当事者になれない愛です。例えて言えば、自分に恋人がいて、そして、別の異性を愛し心配している愛です。

本人にとっては、自分の恋人より、別の異性の方を愛していると実感していても、別の異性本人にしてみれば、こんなおせっかいな愛はないのです。本人の恋人にしてみれば、私に対して「わがまましてよ」となる愛なのです。

矛盾した言い方をすれば、恋人がいるからこそ、おせっかいな愛を持ち続けられるのです。もし、恋人がいなければ、僕の心は壊れていたでしょう。別の異性は、おせっかいな愛の大きさと濃密さにへきえきして、逃げ出していたでしょう。もちろん、矛盾を続けるしっぺ返しは受けます。恋人は去ります。

二十代前半、僕は自分のことをクールな人間だと思っていました。『第三舞台』に関連するすべてのものへの愛も、ただただ、”勝つ”ためだと思っていました。役者を食わせ、スタッフを食わせ、演劇で自立するために必死で闘うために愛しているんだと思っていました。可能性におびえていることを、クールとかん違いしていたのです。

ワークショップ公演にあたり、伊豆に合宿に行ってきました。二泊三日のスケジュールで、野球をしたり、缶蹴りをしたりして遊びました。『第三舞台』も初期、何回か行きました。そこでも、心張り裂ける思いを何回かしました。それは例えば、誰かが一生懸命にぎったおにぎりを、誰かがまずいとつぶやくことだったり、日常の業務に負われるスタッフが合宿の現場でふともらす、ため息だったりしました。そして、みんな忙しくなって、合宿には行かなくなりました。

ほぼ10年ぶりの合宿は、本当に楽しく過ごせました。僕は、一生、ドッチボールや缶蹴りをして過ごせられれば、幸せだと思っています。本気です。

合宿の終わり近く、一人の役者が、カラオケボックスに向かうエレベーターの中で、ぽつりと、「あいつは、ちょっとおかしいですよ」とつぶやきました。その瞬間、僕の心は、ずきりとしました。張り裂けるまではいきませんでしたが、本当にずきりとしました。いつまで、この生活を続けるんだろうと僕は思いました。

イギリスに9月から一年間、行って来ます。休息もかねようと思っていたのに、演劇学校で朝の9時から夕方の6時まで、月〜金でびっしりと授業が入っています。とほほ、です。

今回の公演で気になる役者がいましたら、どうぞ、ずっと気にかけてやって下さい。若い彼ら、彼女らが、役者への夢をあきらめない限り、きっとどこかで出会うと思います。あなたも、あなたの夢をあきらめないように。才能とは、夢を見続ける力のことなのですから。んじゃ。